旅行・地域

初詣は晴明神社でした。

元旦からきばって晴明神社に行ってきました。

晴明と言えば陰陽師ですが、そんなんどうでもよろしぃ。私は京都の車の前後によく見かけるあの、かわいい五芒星のお守りステッカーが欲しかったのです。

欲しかったのです、が。現物を目にしたらどうでもよくなった~。正月独特の神社の商魂逞しさに輪をかけた感じが私を冷静にさせてくれました。有難うございます、晴明さん。それからそれから、休憩処に所狭しと飾られた著名人、芸能人たちの絵馬の数には圧倒されました。……が、江原さん。何か間違ってやしませんか。あ、ひょっとしてパワースポットだったのですか。

神社内にあった、一条戻り橋にもびっくりしました。なぜここに…。調子に乗って、記念撮影してしまいましたが、あれは本物の戻り橋ではありませんです。念のために。

おみくじの結果は…「大吉」!

「なんやったと思う~?」と、旦那に聞いたら彼も大吉で、手にして二秒でありがたみが半減しました。なんだかなぁと思いながらホットレモンで一息ついていたら、カップルっぽい人たちの彼女が「○○君!私、大吉だった~」とか言ってて、本当はもうここのおみくじ全部大吉なんじゃないの?とか新年早々疑心暗鬼に。

さてもさても。今年の私の抱負といたしましては…

「いらない事は言わない」「自己主張をしすぎない」「物忘れがひどいので何とかする」

の三本立てで頑張りたいと思いますよ~。

本年も、よろしくお願いいたします。

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幕末維新ミュージアム霊山歴史館に行きました

幕末維新ミュージアム 霊山歴史館の公式HPはコチラ↓

http://www.ryozen-museum.or.jp/

というか、総力を挙げて書き上げた記事が一瞬にして消えるとか、もうね。もう、二度とあんな良い事は言えない。書けない。というわけで、適当に流しますよ!

Ryouzen4_2

はい、お邪魔しまーす。

中は当然のごとく撮影禁止でしたので、あまり画像はないのですよ。私のお勧めは、竜馬を死に追いやった刀と、返り血の染み付いた掛け軸。斬られた人の引きずった血痕も生々しく再現されている近江屋のミニチュア。ケースに手を突っ込んで持ち比べられる「新撰組鍛錬用の木刀」と普通の木刀。そして、当事使用されていた火縄銃2種類と砲弾を実際に触れるコーナーでした。

特に新撰組の木刀は…なんていうか、もう。丸太ん棒でした。「お前、木刀とか名乗って恥ずかしくないのか!」と。あ、それとですね窓ガラスに書かれていた「竜馬の手紙」も面白かったです。彼の人となりが伺えて。

幕末維新というだけあって、勝海舟さんやその他、教科書に載っている人いない人の遺品や詩なんかが所狭しと展示されておりました。そうそう、京都の北に岩倉という地名があるのですが、この日初めてその地名が「岩倉具視」から来ているのだと知りました。…深いです。

唯一撮影の許されていたのが、竜馬の写真パネルと土方さんの写真パネルの前でした。この画像は私と彼らの秘密なのだ。また、新撰組のだんだらと鉢巻を借りての撮影も出来たのですが、そちらはラブいカップルに譲りました。そんな私はとっても大人。

Ryouzen3 有難う!霊山歴史館。録画しておいたヒストリア!(海援隊と竜馬の回がかなり参考になった)

今度は向かいにある坂本竜馬のお墓も参りたいと思います。(翌日が命日でございました。)

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書かなきゃならない記事メモ。

大阪天王寺の真田丸跡、三光神社、安居神社。

真田幸村の拝んだお地蔵さん。(特別拝観)

羅城門址、及びお地蔵さん。

伏見城跡。

ゆるキャラまつり。

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政宗公ゆかりのモッコク。「海宝寺」さん。

京都伏見桃山正宗にある、海宝(難しい方の宝が正解)寺さんにお邪魔してきました。

Kaihouji1 お邪魔しまーす。

場所は住宅地の真ん中なのですが比較的、分かりやすいので見落とすことはないでしょう。

Mokkoku1 ※心霊写真にあらず。

これが、政宗公手植えのモッコクですよ。樹齢400年。今は包帯巻かれてミイラ状態ですが、お年寄りで木が弱っている為に治療中とのこと。この画像にはありませんが、もう少し右には伊達政宗といったら水玉でしょ。の、あの水玉があしらわれた綺麗な解説文プレートが立っております。更にモッコクの一番近くに(見えるかなー)伊達家の家紋「竹に雀」の入ったプレートも立っておりました。これらは確か、京都市ではなく仙台市が建てたものだと何処かに書いてあったなぁ。

もうですね、感動して「うわぁぁ」と眺めていたら奥からお寺さんのお師さんがやって来ました。お、おお、お邪魔しております。(ぺこりぺこり)

お師さんは、私達の姿を見ると、「どちらからですか?」と声を掛けて下さいまして。「い、いえ…そこからなんですけど(ちょっと申し訳無さそうに)」。そんな私達にちょっと面白いお話しもして下さいましたよ。なんでも、最近は若い女の子達が数人でよくこのモッコクを見に訪れるのだそうです。それも関東やらすごく遠くから。

「今は、武将とかそういうのがブームだそうですね」「は、はぁそうみたいですよね~。(←思い当たる)」「何でもインターネットで知り合った女の子同士でバラバラの地方からやって来るらしいですわ」「あ!オフ会ですか。分かります~」「怖い世の中です」「……で、ですよねー(←経験者)(結構オフ会が好き)」。しかし、地元民でさえ知らなかったこのお寺さんさえも観光順路に入れている歴女!素敵です。私も皆さんと一緒に巡りたいものだ。あ、でもうちの主人は生粋の城マニア・寺社仏閣マニアですので彼と巡るのも大好きなのですけどね。(いつも一番はしゃいで撮影しまくるのは家人です)というわけで、ブログに掲載されている私の後ろ姿は、私の知らない間に彼が何気なく撮ったものが多いのです。

更に、こんなお話しも。

仙台市にこのモッコクから分けた苗を6つ送られたのだそうです。それらは来春2010年に仙台の瑞鳳殿やらその他、政宗公ゆかりの地に植樹されると言う事ですよ。だから、皆さんが仙台に行けば、この木に会えるという事になるのですって。

そして、このモッコクの苗はミイラモッコクの横や側にも植えられています。「モッコクは普通こんなに枝を広げないのですけどね」とお師さんが言うくらい親のモッコクの枝がすごい広がりを見せていますので、この子たちも数百年の後にはその枝葉を「うぶぁ!」と広げるに違いないのです。政宗さんが今、このモッコクを見たら笑いそうです。「ウケる。これ、モッコクとか、有り得へんし。つか、はじけすぎ」なんて。

余談ですけど、その頃の仙台市長に『仙台に招待しますよ!』と言われていたお師さんは、『でも行く前に仙台市長が変わっちゃったんですよ』と笑いながら話していました。だーれか~!!現仙台市長に言ってあげてー!海宝寺さん呼ぶように言ってあげてー!!心からのお願いにございますよ。

さても、このモッコクを見て一番驚いたのは「区民誇りの木」に選ばれていたことです。そっかー。いいなー。区民いいなー。…と、思ったけど私もそうだった。これからは誇りにして生きていきますよ。いつまでも大事にしていきたいものですね。

---どうでもいい余談

ずっと、「伊達町(だてまち と読む)を伊達町(イタチちょう)」だと思っていた。京都は歴史が古いから、「むかぁーしむかし。いたずら好きなイタチがおってな(声 市原悦子)」という由来から来たのかなぁなんて。普通に考えていたのですよ。恥ずかしい。新渡戸稲造を、めっちゃ笑顔で「新、渡辺ってさー、じゃあ旧はどんな渡辺やったっちゅうねんな~?」と人に語ってしまった時くらいの恥ずかしさです。

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石田三成のお墓と信長の木像

先日、大徳寺の総見院で特別公開されている織田信長の木像を見に行ってまいりました。大徳寺は一件のお寺さんではなく、沢山の寺院が一つの町のようになっており、中は結構広いんです。入ったことないけど妙心寺(真田幸村のお墓もある)みたいな感じかな?

Daitokuji お邪魔しまーす。この期間は他の院も前田利家さんの何か(何か…だと!?興味ないにも程があるぞ、オマエ)など盛りだくさんの特別公開がされていました。

Isida_haka2 というわけで、最初は大徳寺の三玄院にある石田三成さんのお墓に……。と思ったら、公開はされていなかったでございますよ。よくある事だけど残念でした。

Souken_nobu 総見院の門の横にある石碑でございます。が、松の葉に隠れて少々見ずらいでございます。

更にすぐ隣でお姉さんが受付をしているので、撮影には勇気が必要。中に入るには大人一人600円が必要。(大徳寺自体は無料)

Nobunagahaka_jyun 織田信長とその親族のお墓の並び順です。このすぐ奥に七基のお墓が並んでおりました。案内役のおばさんの説明では、総見院に信長のお墓を作ったのは豊臣秀吉ということで、親族といえども秀吉と折り合いの悪かった人たちのお墓はないんだそうです。因みに信長の木像を造らせたのも秀吉で、二体のうちの一体が今回の特別公開に出ているんですって。もう一体は、本能寺の変で遺体の見つからなかった信長本人の身代わりとして荼毘に付されたそうです。そして、その木像は高価な香木で彫り上げられたため、葬儀の日は京都の町中がその香りに包まれたのだとか。

Kityou_haka_3 信長の正室、帰蝶(濃姫)さんのお墓もありました。墓石の一つ手前にある、背の低い天然石(手前のしきび)は、側室お鍋の方のもの。

Koutou_in こちらは所変わって、高桐院の中です。門までが結構長く、欝蒼とした竹林の中を行くんですけれども気分は「あーぜくら~♪」ってなぁ感じ。

ここには、細川氏のお墓やガラシャさんのお墓があるというので入ってみたのですが、やはりお金がいるということで出直すことにしました。

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大徳寺は、北大路大宮にあります。市営地下鉄烏丸線を北大路で下車してビブレから西に真っ直ぐ。北を意識しながら歩くとすぐ分かりますよ。駐車場も完備。車で行くと最初の1時間は500円かかります。そこは普通かな。

総見院の余談ではない余談。総見院の中に今も使用しておられる井戸があるのですが。その井戸は掘り抜き井戸と呼ばれ、一つの大きな石(というかもう岩)をくり貫いて作られた物なのですって。その石こそが加藤清正さんが朝鮮出兵の際に持ち帰った朝鮮の石だそうですよ、奥さん。加藤清正さんは、熊本城を築城した人です。多分ね。

更に、井戸から少し先に目をやると、やたらぶっとい詫助(わびすけ)椿が目に入ります。この椿は日本最古の詫助椿とされ、樹齢は何と400年記念フェア。秀吉自らが植樹して愛でたものだと言われている。のだそうです。(全てにおいて確証がないのが歴史の良いところ)

更に更に、東側には三つのお茶室が並んでいたのですが、その中の一室をデジカメで撮影した際ですね、心霊写真なんかによくあるオーラ(だっけ?白い玉)の数が半端なかったです。画像が白い大小の水玉状態で、こんなに見たの初めてです。やっぱりお寺には色々居はったりするんかしら、と思いましたです。でも、怖いとか悪い印象はなかったな。お茶を愛してるんだぜ!オーラなのだろうか。

本当の余談。信長さんの木像は本人の等身大で、当事造らせた秀吉が「よし!」と唸ったほどの出来だったようです。本当によく出来ていて、この人に怒られたらさぞかし怖いだろうな~と思いました。生きているようだ。とは言わないけれど、木像とはいえ静かな迫力が……っ。ぶるぶる。

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アンディフグのお墓も大徳寺の芳春院にあるのですが(実はここも私の密かな目的地だったりする)、今回は廻りきれませんでした。無念。次回はガラシャさんのお墓と共に絶対行くんだぜ~。

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島左近さんのお墓へ

行ってまいりましたよ。

はい、画像はクリックで拡大できます。

で、

Sakon_sekhi ドーン!

左近さんのお墓は、立本寺の中の教法院(七本松の仁和寺街道角)にありました。

Sakon_haka

お邪魔します。

墓石の場所は、お寺の敷地内より西側(教法院の横道から出られます)、細い道を挟んだ墓地の中にあります。

Sakon_boseki お参りしてまいりました。

島左近さんのお墓は一際、分かりづらい場所にありまして。Help me!! 休日だったからなのか事務所のおっちゃんもおらず、右往左往歩きまくりましたよ。

助けて!i-modeーーっ。

てことで、もともと、掲載されてらしたブログさんの背景から何とか推測。そして発見!墓石は墓地の中心から南東の方角にありました。ここでしっかりお参り。

失礼かとは思いましたが、石の裏側を見ますと……、寛永9年のものでした!!え、ホント?え、嘘ぉん。石ってすごいのな。

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同じ日に上杉景勝邸の跡地にも行きました。が!こちらの画像は(何でか記憶にないが)大はしゃぎな私の姿が大写しになっておりましたので、割愛。場所は一条黒門上がる民家のまん前。玄関先に石碑が建っておりますよ~。こちらの石碑は平成21年4月、今年に建てられたものです。とてもキレイ~。

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旧二条城跡、聚楽第、戻橋など~

Ca9sj0g5 シルバーウィークはお彼岸。

お墓参りの後、少し時間を持余したので、車でぶ~んと史跡(というか石碑)巡りしてきました。

←はい、こちらが、織田信長が築いた旧二条城の跡になりまーす(全ての画像はクリックで拡大~)。

Nijyojyotizu 場所はこちら(クリックで拡大)です。御所のすぐ西。ていうか建った当時は御所にめり込んでいたのか(赤い点線が敷地)?!さすが、神をも恐れぬ織田信長ねっ。

この石碑自身は平安女学院大学の北東にありました。

Nijyojyosetumei 石碑の後ろに建っていた説明文です。読めるだろうか……。

Uesugi 次は、直江兼続と上杉景勝の屋敷跡推定地の石碑です。←は西側から撮影しました。「此北 聚楽城〇〇跡」などと書かれているわけですが、そもそも「城」と「第」は違うのか?同じ意味なのか?……後ほど調べてみよう。

Naoe ←直江兼続 屋敷跡は「此南」。

Touguubouato 東側からも撮影。「平安京左京二条二坊八町 春宮坊東宮町跡」。ふ、ふ~ん?(^^;

因みに、南側にはこの石碑を寄贈した人の名前が彫られていました。寄贈された日付を見ると、平成21年5月。つい最近。ていうか、今年かよ!?石碑の場所は、堀川丸太町を道一本北、そこを一本西に入ったところの駐車場に建っていますよ。

Modoribasi2 一条堀川「戻橋」も行ってみました。ここは豊臣秀吉が千利休の木像を処刑してその首を晒した橋なのですって。そして、数年後、利休本人の首を晒したのもここ。……って、そんな怖い場所普通にトオッテルヨ!調べると鴨川の三条川原も普通に結構コワカタケドナ!

他にも、三善清行の葬列と紀州熊野から馳せ参じた息子がここで会い、清行が生き返ったとか、源氏四天王の一人が鬼女とどーとか、大戦で戦地に赴く兵隊さんは「国に戻れるように」ここを通っただとか、京都から嫁ぐ嫁さんはここを通らないだとか……、なんかもう色々あります!橋一つに目を向けてみても、頭痛い。でも、最近になって川に水も戻り、今は市民の憩いの公園になっています。橋の下では子供らがのんびりDS持ち寄って遊んでいやがったぜ。平和が一番(しみじみ)。

Jyurakudai 知恵光院、中立売西入るに豊臣秀吉が築いた「聚楽第」の石碑もあります。以上~。

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この日、豊臣秀吉が祀られている「豊国神社」と「方広寺」をメインに参ったんですけどね。市内大渋滞ですよ。もう力尽きたから次回の記事~。いや、でもまさか神社の宝物館で六文銭を見るとはな。幸村ゆかりですよ!というか歴女のマナーとか痛感したりとかな。色々疲れました……。

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本当に本当のメインは、夕方から友達のおうちで美味しいおうちご飯をお呼ばれ♪だったんですけどね。なるほどね。こんな巡ったらそら、遊ぶ前に疲れるわ@反省。

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明智光秀のお墓、西教寺へ。

これで、明智さんの史跡はほぼ行ったことになります。何と言いますか、この日訪れた西教寺さんは、よく通る道沿いにあるお寺さんでした。近すぎてびっくりしました。場所は、滋賀県の湖西。JR叡山坂本駅下車して西に真っ直ぐのところです。徒歩10分くらいでしょうか?京阪沿線ならもっと近くで下車できるはずです。道のりに観光案内所もありますので、立ち寄るのも良いかと思いますよ~。なにせ、西教寺は広い…。

門を入って緩い山登りの途中に、三浦綾子さんの書かれた「細川ガラシャ婦人」の一節が看板に書かれて読めるようになっています。丁度、入ってすぐの老人ホームの向かいあたりかな。……やはり…私は三浦綾子作品が好きだ。面白い。また図書館で借りよう。

F1121175 西教寺の門は、明智光秀さんが築城した坂本城の城門を移築したものだと伝えられています~。

余談:織田信長による、比叡山焼き討ち(延暦寺とか坂本のお寺周辺)の後、お寺の復興に尽力したのは、なんと明智光秀さんでした。謀反者の汚名が一人歩きしているので、良いイメージのあまりない光秀さんですが、お寺さんなどには救いの武将だったに違いありません。

さらに余談:「宮本武蔵」に出てくる沢庵和尚も西教寺に立ち寄ったらしい。思わず素で、石碑と記念写真を撮ってしまった。

F1121167 

こういうのがあったりします。

F1121187 お線香を忘れてしまいました。不覚。

F1121222 お寺から南東に進むと、坂本城跡もあります。今は「坂本城跡公園」としてガレージ(無料)やらトイレなどの設備が整っており、憩いの場となっています~。ちょい南には真っ赤な鉄製の鳥居が見えるのですが。……私、小さい頃よくそこで魚釣ってたわ。いやはや。史跡って本当に身近なものなんだったんだね。ていうかぁ、最近の戦国ブームにつられてぇ、やっと今頃になってぇ、史跡の石碑なんか立ててる市もあるけどぉ。え~、べっつに京都とか言ってないけどぉぉ。

いや、でもね、京都って戦国、幕末と翻弄されて戦火にさらされて、歴史に良い思いで一つもないんですよね…。ふむぅ。

F1121207 公園には、光秀さんもおるでよ。優しい顔をしてはる。

F1121215 坂本城跡公園の北の細い川を西に歩くこと2分ほど。ここが、坂本城の本丸があったとされる所ですたい。ん?ちょっとうろ覚え。違ったらごめんね。

F1121200 西教寺の坂を登りきると、琵琶湖が一望できます。対岸の近江富士も見えます。まさに、「あの坂を上れば海が見える」状態です。そして、史跡好きなお姉さん方には、サンダルで来ることをお勧めしません。砂利が入って悶えくるしむです。いや、むしろ苦しむが良いのです。…うそうそ。

そんなわけでして、明智光秀さんの史跡はまだお城など残っておりますけど終わりとなります。んっと、ブリーフ3のお墓も全制覇なのです!!さても、史跡を巡るにあたって、色々と本やHPなどで予習復習をしていたのですが、やっぱり、乱世の人々は皆、今の時代には出来ない生き様を貫いていますよね。好むと好まざると。多分、誰も好んでいなかったに違いねぇ。出来ることなら、今は平和ぼけしちまった日本を上から眺めながら、心安らかに眠って欲しいです。

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露出画像が多くなってきたって?ふふ。表現人はみんな目立ちたがり屋なのさ!

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上田・甲府への旅つぅ~

山梨県小淵沢のホテルで一泊した私達は、2日目、暢気に高速に乗り、そのまま甲府の街へと降り立ったのでした。

し~らなぁい~まあぁちぃで~ははは~んはふ~ふふふ~ん♪どぉこぉかとおぉくに~ふふ~んふふ~ふ~ふ~♪さて、今回の写真はクリックで原寸大になります。

F1121105_2 JR甲府駅のポリし…交番の前の広場に有名な武田信玄像がっ!というわけで、偶然出会えた喜びに記念撮影です。この画像を見せた人たちが一様に口にする言葉があります。

「信玄……でかっ!!」

でも、お館様はこれくらいの迫力がないと嫌です。そして、この像、後ろまですごく丁寧に作りこまれていて背中がとても格好いい!でもデジカメでしか…UPができな…。心の眼か、額の第三の目を開いて漢の背中をご覧クダサイ。

F1121115_2

武田神社です。武田信玄の居城(ていうか城じゃないんだけど)躑躅ヶ崎館跡、ということで、戦国の世に想いを馳せれば、胸が、胸が苦しっくなる~(苦しっくなる~)ホーミターイ!ロマンチックが止まりません。

F1121121 ほら、ね?!躑躅ヶ崎館跡なんだぜ、ココ。な?な!?

この後、弱い自分に打ち勝てるようにお参りして(切実)、家紋である武田菱の入ったお守りを頂いてから、宝物館へ。そしてグロッキー。何を見たのか余り覚えていなんですが…、当時の躑躅ヶ崎館の何分の1スケールとかの模型には胸踊りました。でもケースにかじりついてがん見しているお姉さんの邪魔しちゃなんだなぁと思い撤退。気持ちは分かるんだぜ。あとは、信玄と同じくらい山本勘助さんの鎧甲冑が多かった。ような気がするんです。けど…。楽しかったです。←取り合えず纏めようとする心意気。

F1121137 生まれて初めて「ほうとう」っつーもんを食べました。武田神社さんから南への一本道、駅北の有名そうなお店。でも名前は知らぬ!写真は家人が注文した「武田信玄セット」。そういや、宮本村では「武蔵セット」を食べてたなぁ、この人(笑)。お味と感想です。ほうとうは、一本すすれば、うどん二本分食べたくらいお腹が膨れるものでした。うどんでした。具がかなりゴージャスで、じゃがいも、ニンジン、里芋、かぼちゃと何故か根菜っつーかほこほこ系のものが「これでもか!!」というくらい入っていました。寒い冬の夜に頂いたら最高でしょうね~。美味しかったよ、漬物も美味しかったよ。私は残念ながら残してしまったのですが、人目がなかったらタッパに入れて持って帰りたかったよ。

Sinnyan JR駅ビル内のお土産屋さんで一目惚れ。「武田信にゃん」です。友達に、ひこにゃん、いしだみつにゃん、しまさこにゃん、とゆる猫好き(その子は武将に興味はない)がいるので、自分の分と二匹お買い上げしてしまいました。彼女の家には「兼たん」もいたかもしれない。ただ、もっとびっくりしたのは、「山本勘にゃん」の存在だったわけなんですけれども。小さなストラップしかなかったので断念しました。

NHKの「ななみちゃんご当地ストラップ(武田信玄)」も購入~。今、私の携帯にぶら下がっているのですけれど、どう見てもななみってよりは「ご当地チョッパー」です。ま、どうでもいいか。

---さて、私の戦国ブームはさらに苛烈を極め

歴史おもろいなぁ~、と書籍を読み漁るうちに、なんだか心が戦国から室町、桃山、平安へと遡ってきました。今日は倦厭してた「源氏物語」。を!簡単に楽しく解説してくれている「まろ、ん?」という本を探しに行きたいと思っていますよ~。「あさきゆめみし」もなぁ~うーん。私、「なんて素敵にジャパネスク」派だったからなぁ~。

---読破

京都の魔界をゆく(絵解き案内) か舎+菊池昌治著:感想 マジで超怖かった(;;)

イケズの構造 入江敦彦著:感想 私は京都に生まれるべきではなかった。

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上田と甲府に行ってきたんだ。

高速を長野県松本ICで下りて、後は優秀な「なちナビ」のもと、国道を走って長野は上田の街を観光してきました。上田城って、「跡」だけあって、お城がないのですね。6~7時間も高速に乗ってHPが限りなく底に近い私には少しだけ救いでもありました。

もう昼もとっくにまわり、お腹もすいたので、事前にるるぶで調べていた「刀屋」さんというお蕎麦屋に直行しました。が!店の前で知った事実。「刀屋」は「日曜が定休日」です。ハイここ出るぞ~、しっかり覚えとけー。上田一発目から、涙で地図も見えなくなっちゃいました。なので、駅前で普通にご飯を食べて、まずはお土産屋に直行です。物より思い出?なにそれ?まずは、タッパーの中のご当地名産品を試食でしょ。

さて

し~らなーいぃ、まあぁちで ふふふ~ふ ふ~ふふふ~ん♪

どぉこーか~とおぉくーにー ふふふ~ふ ふ~ふ~ふ~ん♪

F1121073_2

「真田幸村くんはご在宅でしょうか~!?」

テンションハイ!に見せかけて実はグロッキーな私でしたが、この城門の横っちょにある「真田石」という大岩とがっぷり組んで必死に動かしてみようと試みてみました。勿論動くわけない…。真田昌幸さんが、松代に家宝として持って行こうとしたけれど結局動かせなったと言われるだけのことはあります。ただ、私としては、「この岩が動けば私が天下統一!」くらいの心意気でした。でも、暫く張り付いた後、「はっはーん。負け負け。やっぱアカンな!」と思って振り返ったら、家人以外の観光の男の人たち3人くらいがですね、この真田石をデジカメで撮ろうと私が諦めるのを待ち構えていたのですね。飛んだ赤っ恥だったぜ!

そんなわけでして、撮れた真田石の写真はすごく照れた顔してて、かけてた指も中途半端な代物となってしまいました。面も割れた画像しかないので、真田石を見てみたい方は他所の旅ブログさんへGOです。

F1121057 元気そうに見えますが、そう…すべてがフェイク。

F1121076 そして、この上田の街ですがマンホールから電灯から何から何まで六文銭でした。関係なさそうな「〇〇商店」みたいな店まで看板には六文銭。素晴らすぃ。駅前にある幸村君の有名な銅像とも写真撮ったのですが、そっちはデジカメにありまして、PCにデータを転送できないので心の目でご覧下さい。また本人も忘れた頃にUPしたいと思っております。

F1121096 さて、夜泊まったホテルは、上田からめちゅ遠い山梨県の小淵沢にありました。ここで妹夫婦、甥っ子と合流です。オシャレに見えて、痒いところに余り手が届かないホテルでした…。コンビニが10時に閉店したり、売店や自販機すらもなかったりと色々ありえないんだ。これが…兵糧攻め…?でも、1番忘れられないのが、

見知らぬ男たちとの混浴

混浴風呂あるよ~と義弟から聞いていたのですが、行けば分かるさ、と詳細を聞かず浴場に向かったのが敗因でした。ホテル推奨のタオルを巻いて露天に出ると、そこがもう混浴だった…。しかもいた。男が何人か。女どももいた。何人か。でも、慌てるのも恥ずかしいので。

ここが混浴だなんて知ってましたー。連れですか?もうすぐ来ますけどー。

みたいな気持ちで。根性だして数分間頑張りました…が、連れとはあえませんでした。ぷりぷり。

翌日は、みんなで山梨県甲府にある武田神社(武田信玄さんの躑躅ヶ崎館跡)に行ってきましたよー。

義弟「お義姉さん、歴女にならはったんですか?」

私「そーやねん!」

義弟「じゃ、大河とかは…←無類の大河ドラマファン」

私「知らぬっ!」

信玄さんは明日にでも書きますかにゃ。武田信にゃんとかいて、思わずびっくりして買っちゃったりしたエピソードなどぉ。

---言い訳

観光都市京都では、日曜日に休むという飲食店が希すぎるのです。というか無いかもしれないくらいありえないのです。だから、るるぶに書いてあったにも関わらず、お蕎麦屋さんが日曜定休などとは考えもしなかったのです。……本当に気をつけて。車の中から「あ、あったぁ!」と指差しポーズしながら笑顔で固まりたくなかったら。ね。

---感激!

ETCでの初出口、「1000円 デス」という無機質な声に雄たけびをあげ、手を叩いて喜んだ人は私達だけじゃない。よね?

---真田幸村さんに遭遇

F1121041 画像があったのでUPです。

地元のお婆ちゃんらがベンチでくつろぐ横にて。サザエさんのOPっぽく。

いや、あそこって大家族だけど大型連休ごとに必ず何処かに旅行に行くのは見上げたもんがありますな。

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